カウンセリングや心理学を勉強する中や、母が亡くなったことをきっかけに、自分自身が毒親育ちだということに気がつきました。
小さかった頃の辛さや様々な生きづらさは親との関係が原因だったということに気が付いたことをきっかけに、同じことで悩み方や自分自身がない、自己肯定感が低いなどでお悩みの方のカウンセリングを数多く行っています。
地元の精神科病院で30年間勤務し多くの患者さんと関わって来ました。
早期退職後、デイサービスに勤めたあと、地域の方の支援を行なうビジネスを始め、オンラインでは精神科や介護の経験、資格を活かして全国対応のカウンセラーを行なっています。
特にネガティブな思考になっている人がポジティブな思考となり、自己肯定感を高めて自信を持てるように、良い部分を引き出せて行けるようなカウンセリングを主体に行なっています。
・陸上自衛隊で救護を担当する衛生科に所属し8年勤務
・精神科看護師として30年勤務
(院内ではSST委員会の委員長を約10年務める)
・デイサービス勤務 1年2ヵ月
・実母の介護 5年
・義母の介護 6年
准看護師
JADPメンタル心理カウンセラー
初級終活カウンセラー
認定ベーシックカウンセラー
調理師
第1種衛生管理者
介護事務士
介護職コーディネーター
第2級給料計算士
地域プロデューサー
旅行 映画鑑賞 スキー
父親は小さな工場で働いていて給料を全く家に入れませんでした。母親が必要な時に頼んで文句を言われながらお金をもらってたのを覚えています。
その父親は殴ったりという事はなかったですがタバコを吸うキセルの金の部分で良く頭を叩かれました。子供だから相当痛くて布団の中で良く泣いてました。祖父も一緒の家に住んでたのですが、これが相当うるさくて、いつもガミガミ言ってるので嫌で仕方がなかったですね。
当時は毒親なんて言葉もありませんでしたが、今思えば毒親育ちもいいところです。
そんな毒親育ちで、特に父親のことは好きではなかったですが、ただ子供の時は怒られたくないから、どこかに連れて行ってもらう時は言うなりについて行っていました。
毒親育ちの上に貧乏で勉強も出来ず劣等感の塊でしたので、同級生などが旅行に行ったりするのが羨ましくて仕方がなかったです。
他の兄弟達も本当に嫌な思いをして育ったと思います。
食べるものがない時は母親が我慢して食べさせてくれたりして、やはりそういう母親は好きでしたね当時は・・・。
私も一度は県外に出て、何年かして実家に帰ったのですが父親は相変わらずで、何かあるとすぐに腹を立て母親や兄弟達を苦しめていました。
そしてついに家を出る決断をする出来事があり、それからは親戚を転々としたり古くて狭い借家を借りたりして引っ越し族になりました。
最終的に自分で家を建てるまでは、親戚も含めると6回くらい引っ越したと思います。
親戚も最初は優しいですが、長くいると段々出て行ってほしいような態度になって来るので、そういうのにも本当に嫌でした。
引っ越した場所によっても、近所の人や大家さんの態度が嫌な感じだったりと、落ち着かない日々でした。そんなこんなの毒親育ちの人生を歩んで来ましたが、それでも兄弟みんな何とか学校を卒業し、就職して自立しました。
そして私も結婚をしたのですが今度は母親にやられましたね。
最初は歓迎してくれましたが、すぐにそれはすぐに崩れ去りました。正に毒親そのもので兄弟には嘘をつき、それを兄弟達は信じてしまうから次第に孤立する感じでした。
その母親は何か嫌になると突然家を出て妹の所にやっかいになり、そこでまた居ずらくなり帰らせてほしいと泣きついて来る始末。
仏心で帰らせても、しばらくすると同じ事を何度も繰り返し、私も兄弟も振り回されました。
そのような言動が続くと、あんなに子供の頃は好きだった母親も、もしかしたら父親の方がマシだったのではと思う程に傷付き、母親も毒親なんだと後になって気付きました。
そんな毒親であった母親もいつからか介護の始まりとなりましたが、自分の状態もわからずに歩き回り転倒して警察に保護されたりして、またまた振り回されました。
どうして毒親育ちの自分達が毒親の介護をしないといけないのかという感じでしたね。
当時は入れる施設もなく病院を転々として最終的に県外の病院型の施設に入る事が出来ました。
何年かして地元の施設に帰ることが出来たのですが、そう長くはなく調子を崩して入院した病院で急変し、そのままお別れとなりました。
母親が亡くなって感じた事は寂しさではなく、色々と勉強する中で毒親であった事を知り、その事で腹立たしい思いが出て来た事です。父親だけでもなのに、母親までもかという感じでした。
毒親育ちであることは、人生を歩む上でこんなに苦しいものなのだと感じたのは、自分自身がそれなりの人生経験を重ねてからのことです。
自分自身でもこれだけ嫌な思いをして精神的にダメージを負ったのですから、毒親の事でもっと大変な思いをしている方は多くいると思います。そうした毒親育ちの方の自己肯定感を高めるために少しでも力になれるように、また毒親の事以外でも悩んでいる方がいれば、これまでのそうした体験や資格を活かして少しでも力になりたいと思います。